朝ドラ『風、薫る』孤児を救い異国で命に寄り添った女性…工藤トメのモデルとされる広瀬梅の生涯 (3/6ページ)
梅が生まれた年は、戊辰戦争真っ只中の時代で、新時代明治へと移ろい始めた時期でした。
女子教育といえば、江戸時代の儒学教育でいう「夫唱婦随」から、欧米式の「良妻賢母」を目指すものへと変化しつつありました。そのため、当初が梅が通ったのは裁縫学校だったと伝わります。これに梅は納得せず、溢れる向学心を満たすために行動に出ました。
やがて梅は岡山の師範学校女子部に入学。教師として子供たちに携わる道を模索し始めます。しかし両親の理解は十分ではなく、何度も家に呼び戻されそうになりました。そのため梅は家出同然で東京に行くことを決意します。
上京後、梅は女子師範学科への入学を目指します。しかし東京に伝手がない梅にとって、金銭的に苦しい生活が待ち受けていました。苦学する梅は、牛込教会に通うようになります。そこで出会ったのが矢嶋揖子という桜井女学校の校長でした。
ここでの出会いによって、梅は桜井女学校に入学することになります。
生活する場所は寄宿舎であり、寄宿生の仲間には、峯尾えい、三谷民子らがいたとされています。
ここで聖書に出会い、やがて牛込教会で受洗してキリスト教徒となりました。
この経験は、梅の人生を大きく変えました。単に学問を身につけるだけでなく、人を支える仕事に自らの生き方を重ねていくようになったのです。
明治20(1887)年、桜井女学校付属看護婦養成所が本格的に始まります。
当時の日本には、医師を育てる機関はあっても、近代的な看護を専門的に教える場はまだ十分ではありませんでした。桜井女学校付属看護婦養成所は、そうした時代に「トレインド・ナース」を育てる重要な場となりました。