朝ドラ「風、薫る」侍医から医学界の重鎮へ…内科助教授・坂田幸作のモデル・入沢達吉の生涯 (3/7ページ)

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こうした出自は、達吉が医学の道へ進むうえで大きな背景となりました。

時代は幕末から明治へ移り変わる時代です。医学もまた、漢方医学や蘭方医学の世界から、ドイツ医学を中心とする近代医学へと大きく変わりつつありました。

達吉は近代医学を学ぶため、帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)に入学。明治22(1889)年に卒業して、ドイツ人内科医エルヴィン・フォン・ベルツの助手となります。

ベルツは、明治日本の医学教育に大きな影響を与えたお雇い外国人教師でした(ベルツの日記でおなじみのあのベルツです)。

当時の日本において、西洋医学を本格的に学ぶことは、国家の近代化と深く結びついていました。

医学は単に病気を治す技術ではありません。大学、病院、軍、衛生行政、そして皇室医療とも関わる重要な分野でした。

翌明治23(1890)年、達吉はドイツへ留学。ストラスブール大学やベルリン大学で、最先端の内科学や病理学を学びました。

留学期間は明治27(1894)年まで及び、達吉にとって大きな転機となります。

帰国後、達吉はいったん宮内省侍医を拝命。近代医学を本場で学んだ医師として、周囲から大きな期待を受けていました。

しかし達吉は同職を3か月で辞任。東京・日本橋に内科診療所を開設しています。

確実な記録から、その内面を細かく読み取ることはできません。しかし、臨床の場で患者と向き合うこと、そして自分の医学を実地で試すことに意味を見いだしていた可能性があります。

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