朝ドラ「風、薫る」侍医から医学界の重鎮へ…内科助教授・坂田幸作のモデル・入沢達吉の生涯 (5/7ページ)
日本の内科学そのものを制度として根づかせる仕事でもありました。
看護教育との接点も?内科全般に貢献した後半生
達吉は、看護教育とも無関係ではありませんでした。
明治34(1901)年の『看病学講義録 内科・外科』(東京帝国大学医科大学の看病学講義の学生ノート)では、内科の部は三浦謹之助教授、入沢達吉教授らによる高度な内容の講義であったと説明されています。
これは、達吉が医学教育だけでなく、看護を学ぶ人々にとっても重要な知識の担い手であったことを示しています。
朝ドラ「風、薫る」は、大関和と鈴木雅という二人のトレインドナースをモチーフにした物語です。
その物語の中で、大学病院の医師が看護婦たちと向き合う場面は、単なるドラマの背景ではありません。明治の医療現場では、医師の教育、看護婦の教育、病院制度の整備が同時に進んでいたのです。
達吉の研究分野は、専門分野である内科学においても広範囲に及びました。
達吉は脚気や寄生虫病学に大きく貢献。レントゲン診断学の確立にも尽力したとされています。
脚気は、当時の日本において深刻な病気でした。軍隊、都市生活、食生活の変化とも関係し、多くの人々を苦しめました。原因が十分に解明されるまでには時間がかかり、医学者たちはさまざまな角度から研究を進めていました。
また、寄生虫症も、近代日本の衛生と深く関わる問題でした。医学は病院の中だけで完結するものではありません。