『豊臣兄弟!』上月城の全員自害、史実は?別所長治はなぜ謀叛?饅頭こわい村重…第22回放送を考察 (2/8ページ)
実際はどうだったのか?『信長公記』にはこのような記述があります。
……上月之城取巻被攻候(せめられそうろう)七日目に城中の者 大将の頸を切取持て来候て残党命被助候(たすけられそうろう)様にと歎申候(なげきもうしそうろう)を上月城主の頸(くび)則(すなわち)安土へ致進上 信長被懸御目(おめにかけられ) 上月に楯籠(たてこもる)残党悉(ことごとく)引出し備前 美作両国之境目に張付(磔)に悉懸置(かけおき)……
※『信長公記』巻十「十二 但馬播磨羽柴被申付(もうしつけらるる)事」
秀吉らが上月城を包囲、攻め立てること七日目、城内の者が大将・赤松政範(あかまつ まさのり)の首級を持って降伏してきました。
「この首級と引き換えに、生存者の助命を願いたい」という赤松の伝言を聞いた秀吉は、まず首級を織田信長(小栗旬)の元へ送った上で、生き残った者たちをことごとく殺します。
助命の約束?そんなものした覚えはありません。武士の情けで腹が膨れたりはしないのです。
そして全員の遺体を磔にかけ、備前・美作(いずれも岡山県東部)の国境地域に晒し者としたのでした。
なぜ秀吉がそんなことをしたかと言えば、北陸戦線での失態を埋め合わせするためと記述があります。
……今度(こたび)北国より帰陣仕御折檻(ごせっかん)迷惑之故西国にて可然(しかるべく)か責(呵責)をいたし是を見上(けんじょう)に可仕(つかまつるべし)と被存知(ぞんぜられ)夜を日に継懸廻(かけめぐり) 羽柴筑前 粉骨之働(ふんこつのはたらき)無比(くらべなき)題目(だいもく)也……
※『信長公記』巻十「十二 但馬播磨羽柴被申付(もうしつけらるる)事」
どうやら秀吉は信長から厳しくお仕置きされ、何とか汚名を返上したいと信長の気に入られようと、このように残虐な振る舞いに及んだようです。
そんな秀吉の必死な働きを、信長は「比べなき題目」と喜んだのでしょうね。