朝ドラ「風、薫る」ペスト感染の最前線で命懸けの活動!木村文平(前野朋哉)の実在モデルとされる青山胤通の生涯 (5/6ページ)
患者を診る臨床医であり、医学生を育てる教育者でもあり、国家の医療制度や衛生行政にも影響を持つ存在だったのです。
やがて胤通の生涯で最も衝撃的な出来事が訪れます。
明治27(1894)年、イギリス領香港でペストが流行。明治政府は、胤通と北里柴三郎らを現地へ派遣し、同地で調査へと当たらせました。
胤通は臨床と解剖の立場から調査にあたり、19体の解剖と45例の患者観察を行ったとされています。
そして現地の劣悪な衛生状態のなかで、自らもペストに感染。一時は危篤状態に陥ることとな理、ついには棺桶が用意されるほどだったとされています。
これは、医学者としての名誉ある任務であると同時に、命を賭けた現場でした。
しかし胤通は奇跡的に回復を果たして生還。この調査活動の後に発表された臨床・病理の報告は高く評価されました。
胤通は、研究室や講義室だけで医学を語るのではなく、感染症が猛威をふるう現場へ赴き、患者と遺体に向き合い、病の正体を追いかけたのです。
明治34(1901)年には医科大学長に就任。明治45(1912)年には宮内省御用掛として明治天皇の診療にもあたりました。
大正4(1915)年には伝染病研究所所長に就任し、大正6(1917)年には男爵に叙されて華族に列しています。
そして同年12月23日、胤通は世を去ります。享年は59。感染症研究や医学教育に命と人生をかけ、後進の育成に奔走した生涯でした。