海なし県・山梨が“寿司王国”だった意外な理由…江戸時代の「魚の道」と甲州寿司の謎 (3/4ページ)
魚尻線とは、夏でも海辺から内陸へ腐らせることなく生魚を運べる限界地点までの距離・ルートのこと。海岸部が起点となり、内陸部が終点となります。
駿河湾で獲れた魚をどうやって内陸まで運んだの?江戸時代、海産物の名所として知られた駿河湾。特に、江戸時代の終わり頃から駿河湾で大量のマグロが獲れたという記述が文献に残っています。
そんな駿河湾から、夏でも腐らせることなく生魚を運べた限界が「甲府」でした。富士山の西側を通る「中道往還(なかみちおうかん)」というルートを使い、マグロなどの海産物を馬の背中に乗せて運んできてきたといわれています。ちなみに、中道往還は、「魚の道」としても知られています。
このルートを使うことで、一晩で甲府まで運べたと言われています。標高の高い山道を通るため、夏場でも比較的涼しく、生魚を運ぶのに提起していたのです。
保存する工夫・技術を持っていた寿司屋そして、魚を酢で〆たり、漬けにしたりして、生の状態に近い魚を味わうための技術を持つ存在として、寿司屋が重宝されたとか。そのため、山梨県には寿司屋が多くあるのだそうです。
山梨ならではの食文化「甲州寿司」・「無尽」とは山梨ならではの食文化のひとつとして「甲州寿司」があげられます。一般的な江戸前寿司と比べて、大きいのが特徴。「煮切り」と呼ばれる甘い醤油を塗って食べるのですが、これは、「味が濃くて甘い醤油を使って、鮮度が落ちつつある海産物をおいしく食べよう」という先人たちの知恵なのです。
もうひとつ、「無尽」という文化もユニークです。山梨では、大人が数人で集まって飲食する「無尽」が行われていました。
