少数精鋭で大軍に逆転勝利!戦国武将・毛利元就が初陣で“西の桶狭間”を起こした有田中井手の合戦とは (3/7ページ)
元繁は安芸国に北面する出雲・石見両国(島根県)の大大名・尼子氏を後ろ盾に、安芸国から大内氏の影響下にある諸勢力(毛利氏・吉川氏ら)を一掃しようと画策していたのです。
ちょうど大内氏は他事に追われて京都にいたため、この隙を逃さず挙兵したのでしょう。
有田城には小田信忠(おだ のぶただ)が300ほどの寡兵で立て籠もっており、大軍に恐れをなして降伏を申し出ました。
しかし元繁はいきり立って降伏を認めず、軍神の血祭りに上げんとばかり有田城を攻め立てたのです。
最早これまでか……しかし「窮鼠猫を咬む」とはよく言ったもので、逃げ道を絶たれてしまったのであれば、死に物狂いで活路を求めるよりありません。小田信忠らは懸命に抗戦し、意外に持ちこたえてみせたのでした。
なかなか有田城が攻略できない10月21日、元繁は盟友の熊谷元直(くまがい もとなお)に命じて毛利領へ出撃させます。
元直率いる600ばかりの軍勢は、民家へ火を放つなど毛利方を挑発しました。これを見た元就は精鋭150騎を率いて出撃、約4倍にもなる敵を散々に追い散らしたのです。
敵は大軍に驕って、一人々々が油断しきった烏合の衆と化していました。これを見抜いた元就は、この好機を逃すまじと吉川氏へ援軍要請の早馬を飛ばします。
吉川氏からは宮庄経友(みやのしょう つねとも)率いる300騎の援軍が駆けつけ、元就率いる700騎と合わせて1千騎が決戦へと繰り出しました。