「高野山」は“社会的な死”を意味する?聖地に送られた戦国武将たちの非情すぎる末路 (5/5ページ)

Japaaan

秀吉の死後は大坂城で豊臣秀頼の側近として仕えるものの1614年の「大坂冬の陣」の直前、豊臣方を見限って徳川方に内通し、のちに家康から5万石を与えられます。しかし武将としての評価は著しく低いものとなりました。

※関連記事:

最後はどうなった?長いものに巻かれ続けた織田信雄の人生をご紹介【どうする家康】

いかがでしたか?高野山は空海の伝説があり、歴史的にも重要な地。戦国武将がこぞって権威を示す場所でもありつつ、山中にあることから、このように社会的な死を意味する場所としても使われてきました。歴代墓所がずらりと並ぶ参道は圧巻です。一度訪れてみてはいかがでしょうか。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「「高野山」は“社会的な死”を意味する?聖地に送られた戦国武将たちの非情すぎる末路」のページです。デイリーニュースオンラインは、佐久間信盛織田信雄豊臣秀次戦国時代高野山カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る