「高野山」は“社会的な死”を意味する?聖地に送られた戦国武将たちの非情すぎる末路 (1/5ページ)
和歌山県の高野山といえば、弘法大師・空海ゆかりの聖地。奥之院の参道には、名だたる戦国武将たちの墓所が並び、まるで戦国史の巨大な霊廟のようです。
ただし、そこに必ず本人の遺体が眠っているわけではありません。供養や家の格式を示すために建てられた墓も多く、高野山は武将たちにとって「死後の名誉」を象徴する場所でもありました。
しかし一方で、高野山は“敗者が送られる場所”でもありました。
出家、蟄居、幽閉、切腹――。信長や秀吉の怒りを買い、表舞台から追われた武将たちにとって、高野山行きは単なる隠居ではなく、時に“社会的な死”を意味したのです。
今回は、そんな高野山で運命を狂わされた戦国武将たちを紹介します。
佐久間信盛(1528?~1582)
『長篠合戦図屏風』(成瀬家本)より佐久間右衛門信成、Wikipediaより)
佐久間信盛は織田信長の重臣として重用された勇猛果敢で知られた武将です。
