【豊臣兄弟!】美少年・森乱(蘭丸)は実際に強かった!?「安土相撲大会」に隠された“権力誇示”の真実 (4/9ページ)

Japaaan

度肝を抜くようなド派手なイベントを行い「さすがは織田信長!やることのスケールが違う」と民衆を驚かせるが好きだった信長。それと共に、諸国の武将らに自分の力の強さを見せつける狙いもありました。

たとえば、天正9年2月28日(1581)には、着飾った家臣や一族たちが名馬に乗って行進する『京都御馬揃え(きょうとおうまぞろえ)』という軍事パレードを行なっています。

この御馬揃えには、大混乱になるほど洛中洛外から市民が駆け付け、各地の武将にまで信長の力を知らしめる結果となりました。

さらに、同年7月には、安土に滞在中だった宣教師の帰国を見送るために安土城を提灯の灯りでライトアップし「信長の威光」を世の中に知らしめました。

大規模な相撲大会もその一つ。信長の催した相撲大会は、全国から数百人〜数千人規模の参加者が集まったそうです。

それだけの人々が「天下人の前で相撲を取る」こと自体が、効果的に信長の権威を示す政治イベントとなりました。(これは後の豊臣秀吉や徳川家康にも受け継がれていきます。)

安土城下で催された有名な相撲大会は……

▪️天正6年(1578)8月15日に開催した相撲大会。1500人もの参加者が集い、蒲生氏郷や堀秀政など腕力に覚えのある武将も土俵に上がったそうです。

辰の刻(午前7時~9時頃)に始まり、酉の刻(17時~19時頃)まで行われるという大規模なものでした。

▪️1579(天正7)年に行われた相撲大会では、伴正林(ともしょうりん)という人物が非常によい成績を収めました。

翌年の相撲大会も勝利し米50石をあてがわれました。

7人抜きの大勝利で信長の目に止まり、そのまま召し抱えられた伴正林は、当時18歳ほどだったそうです。

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