『豊臣兄弟!』宿老追放は信長の慈悲か粛清か?元親はジェンダーレス?安藤父子の最期…史料から第25回を考察 (11/14ページ)
戦国時代においても「疑わしきは罰せず」が、ある程度は適用されていたのではないでしょうか。
光秀が本能寺の変を起こした理由は?
織田家臣団の中で、光秀が最も信長に信頼されている模様。その心労は計り知れない。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
前回のラストで「本能寺の変まであと2年」と出て来たものの、今回はカウントダウンがなかったのは、何か意図があるのでしょうか。
さて、四国方面の交渉を任されていた光秀は、信長から「気が変わったので、四国の切取りは反故にする。長曾我部元親を納得させるよう説き伏せろ」と命じられます。
そこへ舞い込んだ旧主・足利義昭からの「信長を討て」という密書。光秀がどうしたものかと葛藤する様子が描かれていました。
近年の研究では、いわゆる本能寺の変(光秀の謀叛で信長が横死する事件)の理由は、信長の四国政策が原因と考えられています。
今まで四国方面の平定を任されていた光秀が、更迭されて秀吉の応援で中国地方へ行くよう命じられました。これを不満に思った光秀は、たまたま(いつもの如く?)油断し切って隙だらけだった信長を討った……というのです。