朝ドラ『風、薫る』従兄の西郷隆盛と戦う運命に…実在した人物、大山巌(高嶋政宏)の激動の生涯 (3/7ページ)
巌はイギリスの圧倒的軍事力を目の当たりにした。
戊辰戦争で戦場を知った大山巌慶応4(1868)年1月、鳥羽伏見の戦いを契機として、明治新政府と旧幕府との間で戊辰戦争が勃発。巌は薩摩の二番隊砲兵隊長として出征しています。
大河ドラマ「八重の桜」でも描かれましたが、巌は関東から東北地方まで転戦。会津若松城攻撃にも加わりました。
その際、新島八重(当時は川崎八重)が巌を狙撃。撃たれた傷は命を落としかねないほどの重傷でした。
戦後、実戦経験を踏んだ巌は歩みを止めません。
明治2(1869)年、自ら設計した長四斤山砲(通称・弥助砲)を考案。これは我が国初となる国産の洋式大砲でした。
翌明治3(1870)年、巌は軍事視察のためにフランスへ渡ります。
このとき、ヨーロッパでは普仏戦争が起こっており、巌はその戦況を実地に見ていました。
明治4(1871)年には日本に帰国。兵部権大丞、陸軍大佐と進み、さらに陸軍少将へ進みます。
その後、再びヨーロッパへ渡り、主にフランスで軍政や砲術を研究しました。
明治7(1874)年に帰国した巌は、陸軍少将として陸軍建設に関わります。
当時の日本において、西洋式軍制を理解した人材は限られていました。巌の経験は、新しい陸軍を形づくるうえで大きな意味を持ちました。