【豊臣兄弟!】本能寺で信長に一番槍!森蘭丸を討ち取った武将・安田作兵衛の壮絶な生涯 (2/6ページ)
幼名は岩福(いわふく)または乙千代(おとちよ)と名づけられています。
永禄元年(1558年)ごろに安田利国(としくに)の婿養子となり、家督を継ぎました。
やがて作兵衛は身の丈6尺2寸(約188cm)の偉丈夫に成長します。怪力を誇り、また早業飛行(はやわざひぎょう)と呼ばれる素早い身のこなしで知られたそうです。
そんな作兵衛は永禄11年(1568年)に明智光秀に仕え、順調に立身出世。近江国高島郡田中(滋賀県高島市)に一万石の所領を与えられました。
また光秀の信任厚かった作兵衛は、明智の三羽烏(さんばがらす)に数えられたと言います。
【明智の三羽烏】
古川九兵衛兼友(ふるかわ きゅうべゑかねとも) 箕浦大蔵丞豊茂(みのうら おおくらのじょうとよしげ) 安田作兵衛国継彼らはいずれも武勇をもって知られ、本能寺の変でも先鋒を務めました。
一番槍の大手柄
本能寺の変における作兵衛の活躍について、『翁草』ではこのように記述しています。