『豊臣兄弟!』秀吉に溺愛されながら最後は家族と生き別れ…養女・豪姫の悲劇の生涯 (2/8ページ)

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この賤ヶ岳の戦いは、秀吉にとって大切な二人の人間を相手にする、精神的にもつらい戦いといえます。一人は勝家に嫁いだお市の方(宮﨑あおい)、そしてもう一人は勝家の与力大名であり、秀吉が小者時代から誼を通じていた前田利家(大東駿介)です。

秀吉は利家からは、養女として豪姫をもらい受けていました。本稿では、数いる養子・養女の中でも、秀吉が最も愛したといわれるその「豪姫」について触れていきます。

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豪姫の出生と養女となった時期はいつか

豪姫は1574年(天正2年)、前田利家の四女として、前田家の本拠地である尾張国荒子城(名古屋市中川区)に生まれました。生母は利家の正室まつ(芳春院/菅井友香)です。

定説では、生まれた翌年ないし2年後に、子どものいなかった秀吉と寧々(北政所/浜辺美波)の養女となり、二人から寵愛されたとされます。

しかしこれには諸説あり、九州大学教授の福田千鶴氏は、1583年(天正11年)説を唱えています。

賤ヶ岳の戦いののち、勝家の北ノ庄城を攻めるため、利家の越前府中城に進出した秀吉と利家が和睦・臣従した際に、豪姫を養女として迎えたという説です。

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