『豊臣兄弟!』秀吉に溺愛されながら最後は家族と生き別れ…養女・豪姫の悲劇の生涯 (7/8ページ)
秀家はなんとか戦場を離脱して逃亡し、薩摩の島津家に匿われます。しかし、薩摩潜伏が露呈すると、1602年(慶長7年)、秀家は豪姫との二人の男子である秀高・秀継とともに、八丈島へ流罪となりました。秀家はその後、八丈島で長い歳月を生き、1655年(明暦元年)に83歳で生涯を閉じています。
一方、豪姫は宇喜多家改易後、出家して高台院となっていた北政所に仕えていました。その後、1607年(慶長12年)にキリシタンの洗礼を受け、金沢へ帰ります。
西軍の副大将であった秀家が助命されたのは、一説には、豪姫の実家である前田家当主・前田利長(利家嫡男)、さらには豪姫の母・まつによる懸命な助命嘆願があったためともいわれています。
まつ。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
しかし豪姫は秀家および二人の息子と、ついに再会を果たすことはありませんでした。彼女は1634年(寛永11年)5月、61歳で生涯を閉じます。