『豊臣兄弟!』秀吉に溺愛されながら最後は家族と生き別れ…養女・豪姫の悲劇の生涯 (6/8ページ)

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しかし、豪姫は出産のたびに体調を崩したといわれています。心配した秀吉がその原因を探らせたところ、「狐が憑いている」と言われました。

豊臣秀吉。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

これを聞いた秀吉は伏見稲荷に対して「豪姫から出て行かないのなら、日本中の狐を皆殺しにする」という趣旨の手紙を書き送ったと伝えられています。

それほどまでに、秀吉の豪姫に対する愛情は深かったのです。秀吉はその後も豪姫を「五もじ」と呼び、かわいがったと伝わります。

関ヶ原の敗北で引き裂かれた豪姫と秀家

秀吉の晩年、秀家は徳川家康(松下洸平 )や前田利家と並ぶ五大老に就任します。

しかし、豪姫と秀家に決別の時が訪れました。

1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦い秀家は西軍の副大将として1万7千の主力部隊を率いて参戦します。この決戦で、福島正則(松崎優輝)勢と激戦を繰り広げたものの、同じ豊臣一門の小早川秀秋の裏切りによって、宇喜多勢は壊滅してしまいました。

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