究極の自己犠牲!戦国時代の忠義「将替(しょうがわり)」とは?主君の身代わりとなり命を捧げた武士たち (4/5ページ)
ただ大将の諱を名乗るだけでなく、切腹してみせたり、甲冑を着たりなど渾身の演出が図られたようです。
彼らの献身的活躍によって大将はその場を逃げ延び、捲土重来を期したことでしょう。
将替の事例〜戦国時代〜
歌川芳員「太平記長嶋合戦」より、金御幣の馬印を持って奮戦する免受宗助家照(毛受勝照)。
家臣が主君の身代わりを買って出る将替は、戦国時代においても行われていました。
例えば中国地方の覇者となった毛利元就は、天文12年(1543年)に敗走する際、家臣の渡辺通が元就の甲冑を着て討死しました。
また元亀3年(1572年)に三方ヶ原の合戦で敗れた徳川家康の身代わりとして、数名の家臣が身代わりを買って出ています。
家康の甲冑を着て迫りくる武田軍に突入した松井忠次や、同じく采配を奪い取った鈴木久三郎などの逸話は有名でしょう。
彼らは生還を果たした一方、夏目次郎左衛門は壮絶な最期を遂げました。
後世「家康の三大危機」に数えられたと三方ヶ原の合戦では多くの家臣が将替を行っていますが、これは家康の人徳をアピールする創作の可能性も指摘されています。