『豊臣兄弟!』明智光秀は生きていた?最期をぼかした演出と「光秀生存説」を史実から考察 (7/9ページ)

Japaaan

海北友松と夫人(Wikipedia)

光秀の首に関しては、さらに謎があります。それは、光秀の首塚が複数存在することです。

知られているだけでも、京都市東山区三条通白川橋下ルの首塚京都府亀岡市の谷性寺の首塚、そして娘の細川ガラシャが供養したと伝わる京都府宮津市の盛林寺の首塚があります。

いったい、どれが本物の光秀の首なのでしょうか。もしかすると、すべてが偽物だった。そのような可能性まで考えられるのです。

②については、農民による落ち武者狩りで討たれたのは光秀本人ではなく、影武者の荒木山城守だったという説です。

重傷を負った光秀はなんとかその場を逃れます。そして、美濃国武儀郡中洞村に身を潜め、荒深小五郎と名乗って再起を期していたものの、ついにその時は訪れず、この地で亡くなった。そして現在も、同地には光秀の墓とされるものが残されています。

「『豊臣兄弟!』明智光秀は生きていた?最期をぼかした演出と「光秀生存説」を史実から考察」のページです。デイリーニュースオンラインは、豊臣兄弟!山崎の戦い明智光秀戦国時代豊臣秀吉カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る