【豊臣兄弟!】22歳で散った長宗我部元親の天才後継者・信親とは?武勇を奮った若武者の壮絶な最期 (2/5ページ)

Japaaan

信の字は当時友好関係にあった織田信長(小栗旬)から贈られたもので、さらに左文字の銘刀と栗毛の駿馬を贈られたそうです。

元服後の信親は父に従って各地を転戦し、智勇兼備の若武者として、長宗我部家の勢力拡大に貢献しました。

『土佐物語』によると身長は6尺1寸(約184センチ)、色白で柔和な顔立ちだったと言います。

また「詞すくなく礼儀ありて厳ならず」つまり寡黙でムダ口を叩かず、礼儀正しいけれど堅苦しさはなく、自然体で人々から敬愛されていました。

体力にも優れており、走り跳びで二間(約4メートル)を跳び越え、また跳びながら抜刀する技量もあったそうです。

元親は信親の武勇について「樊噲(はん かい。前漢の劉邦に仕えた豪傑)にも劣るまい」と豪語し、その噂を聞いた信長が養子に迎えたいと言うほどでした。

宣教師のルイス・フロイス(フェルナンデス直行)が記した『日本史(フロイス日本史)』では、信仰心に厚かった信親がキリシタンになろうと考えていたと言います。

が、実際そのような動きは見られず、恐らく「立派な人物をキリスト教に結びつけたい」という思惑による創作ではないでしょうか。それほど立派な人物であったことがうかがえます。

秀吉の命令で九州へ遠征

仙石秀久(画像:Wikipedia)

やがて元親が四国政策をめぐって信長と決別し、天正10年(1582年)に信長が本能寺の変で横死を遂げると、織田政権は羽柴秀吉(池松壮亮)に乗っ取られていきました。

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