【豊臣兄弟!】22歳で散った長宗我部元親の天才後継者・信親とは?武勇を奮った若武者の壮絶な最期 (3/5ページ)
そして天正13年(1585年)に羽柴小一郎(仲野太賀)が四国へ攻め込んでくると、元親はこれに降伏。土佐一国のみを安堵されます。
やがて天正14年(1586年)に秀吉が大友宗麟への援軍として兵を起こすと、元親・信親父子もこれに従軍しました。
12月11日に戸次川(へつぎがわ)のほとりに布陣した元親らは、軍議の席で意見が対立します。
仙石秀久(せんごく ひでひさ)や十河存保(そごう まさやす)らは「ただちに川を渡って決戦を挑むべし」と主張、信親は「地の利があるこの地に留まり、増援の到着を待つべき」と反論しました。
結局は渡河決戦が採用されてしまい、信親は家臣たちに不満をもらします。
……信親、明日は討死と定めたり。今日の軍評定で軍監・仙石秀久の一存によって、明日、川を越えて戦うと決まりたり。地形の利を考えるに、この方より川を渡る事、罠に臨む狐のごとし。全くの自滅と同じ……
※『土佐物語』より。
仕掛けられていると分かりきった罠の中へ、自分からかかりに行くようなものだ。それでも決定には逆らえず、信親は決死の覚悟を固めたのでした。