【豊臣兄弟!】“情けない姿”に騙されるな!知略の名将・桑山重晴の「偽りの降伏」が秀吉を救っていた (3/7ページ)
賎ヶ岳の合戦で知略を発揮
天正11年(1583年)に賤ヶ岳の合戦が勃発すると、重晴は激戦が予想される賤ヶ岳砦の守備を任されました。
間もなく佐久間盛政(遠藤雄弥)率いる柴田勢の精鋭が襲来すると、大岩山砦を死守していた中川清秀(すがおゆうじ)は討たれ、岩崎山砦を守備していた高山右近(市川知宏)も善戦むなしく敗走しています。
※劇中では清秀が寝返り、右近もろくに戦わずして逃走したと言われますが、実際は異なりました。最期まで清秀の遺勲も、最善を尽くした右近の武勲も、秀吉から高く評価されています。
【豊臣兄弟!】秀吉と「義兄弟の契り」を結んだ中川清秀、賤ヶ岳の戦いでの壮絶な最期…そんな中、重晴は真っ向から敵襲を食い止めようとはせず、あっさり寝返るような素振りを見せました。あくまでも「素振り」です。
これにすっかり慢心した佐久間盛政は油断し、攻撃の手を止めますが、いつまで待っても砦を明け渡そうとしません。
「もしや、謀られたか!」
重晴の計略を察した盛政は、さぞ激怒したことでしょう。しかしもう夜なので無理攻めはせず、明朝一番に攻め立ててやることにしました。
もちろん重晴も敵の怒りは重々承知。時間を稼ぐだけ稼いだタイミングで、兵をまとめて、さっさと賎ヶ岳砦を放棄したのです。
この時間稼ぎによって秀吉の「美濃大返し」が間に合い、浮き足立った盛政の軍勢に痛打を加えることが出来ました。
重晴は丹羽長秀の部隊と合流し、盛政らを攻め立てます。孤立無援の賎ヶ岳砦で無理に抗戦しなかったことで兵力を温存し、ベストコンディションで決戦に臨めたのは、重晴の知略と言えるでしょう。
