『逃げ上手の若君』時行の叔父も逃げ上手?北条泰家の生涯―最後まで抵抗した鎌倉武士の生き様【前編】 (1/5ページ)

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『逃げ上手の若君』時行の叔父も逃げ上手?北条泰家の生涯―最後まで抵抗した鎌倉武士の生き様【前編】

「週刊少年ジャンプ」にて2021年より連載され、現在TVアニメ第2期も放送中の『逃げ上手の若君』には、数多くの魅力的な人物が登場します。

時行の叔父・北条泰家(ほうじょう,やすいえ)もその1人です。

泰家は鎌倉幕府の執権を輩出してきた北条得宗家に誕生。将来は兄を支えて鎌倉幕府の要職につくことが確実でした。

高時が病で執権職を退くと泰家も後任の候補者の1人となります。

しかし内管領によって執権就任はかなわず、憤激した泰家は出家して政治の世界を去る道を選びます。

やがて後醍醐天皇が倒幕の兵を挙げ、関東の有力御家人も鎌倉幕府に反旗を翻していきました。

泰家は大将となって出陣。新田義貞と合戦に及び、一度は優位な情勢となりますが…

北条泰家の前半生について見ていきましょう。

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北条得宗家に次男として誕生

北条泰家は鎌倉幕府第9代執権北条貞時の四男として生を受けました。生母は安達泰宗の娘・覚海円成です。

貞時の三男・高時は同母兄にあたり、彼が嘉元元(1304)年の生まれなので、泰家はそれ以降に生まれたのが確実です。

泰家は通称を相模四郎と名乗りました。初名は時利(次いで時興)と名乗ったようで、北条得宗家の「時」の通り字を名乗ることが許されたのがわかります。

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