【豊臣兄弟!】「裏切り者」と描かれ…物議を醸した中川清秀の遺志を継いだ息子・中川秀政の出世と不覚の最期 (3/4ページ)
【豊臣兄弟!】利家はなぜ勝家を裏切った?中川清秀の描かれ方に疑問…史実をもとに第32回放送の考察
続く天正12年(1584年)の小牧・長久手合戦(対 徳川家康)や天正13年(1585年)の四国征伐(対 長宗我部元親)で武功を立てたため、播磨国三木(兵庫県三木市)13万石に栄転しました。
その後も天正15年(1587年)の九州征伐(対 島津義久)や天正18年(1590年)の小田原征伐(対 北条氏政・氏直)に従軍し、ついに秀吉の天下一統を見届けることになります。
朝鮮出兵中に落命
しかし文禄の役(第一次朝鮮征伐)では、朝鮮水原(韓国スウォン市)で鷹狩りに興じていたところ、敵軍に討ち取られてしまいました。時に天正20年(1592年)10月24日、享年25歳。
通常こうした不覚悟による落命は、家督相続が認められません。そこで中川家では正規の合戦による討死と報告しましたが、あっけなくバレて秀吉の逆鱗に触れてしまいます。
