日本人は「なぜ」「いつから」漢字を使うようになった?東アジアの動乱と日本の文字文化のルーツ (2/4ページ)
文字が伝わるということは、文字に寄って明文化されているルールや思考も伝播することを意味します。
そうして国家を作る方法や外交に関する知識も一緒に伝わり、朝鮮半島や倭の国づくりにも影響を与えたのです。
つまり、日本の漢字文化を考えるとき、中国から日本へ直接伝わったとだけ考えるのは適切ではありません。中国の文字文化が朝鮮半島を経由して倭へ伝わった流れが重要なのです。
以下では、もう少し当時の流れを詳細に見ていきましょう。
外交と漢字楽浪郡が313年に滅びたあと、朝鮮半島では国家形成が進みました。百済と新羅が史料に登場するのも、この時期からです。
一方、中国では、ご存じの通り漢の滅亡後に魏・蜀・呉が争い、その後は司馬炎が建てた晋も勢力を失いました。さらに北方の遊牧民が南へ移動し、五胡十六国と呼ばれる諸勢力が中国北部を支配するようになります。
こうして中国は南北朝時代へ入りました。北では鮮卑の拓跋部が建てた北魏が、南では漢民族の宋が勢力を持っていたのです。
この時代、朝鮮半島の高句麗・百済・新羅は、中国との外交を積極的に行いました。北魏にも南朝の宋にも朝貢使を送り、外交上の礼を示すことで侵略を避けようとしたのです。
ここで重要になるのが漢字でした。中国と外交を行う以上、相手に意思を伝えるための文字や知識が必要だったからです。