【古代史の謎】異質な名を持つ「ヲホド王」この大王の正体は天皇家のご先祖・継体天皇だった (2/4ページ)
一方、ヲホド王の王朝はこれらとは大きく異なります。ヲホド王の墓と推定される古墳は、大和川水系の大和や河内ではなく淀川水系の大阪府高槻市にあるからです。
ここから、ヲホド王はそれまでの王とは異なる勢力を背景にしていたのではないか、という見方が出てきます。
どこから来たのかでは、ヲホド王はいったいどこから来たのでしょうか。
大日本帝国憲法のもとで天皇家が万世一系とされた時代には、ヲホド王は応神五世孫と説明されていました。応神天皇から数えて五代後の子孫という意味です。
応神天皇(中央)と近侍の武内宿禰(右)を描いた絵(Wikipediaより)
しかし、ここには疑問もあります。文字がなく、記録を作ることも難しかった時代に、どのようにして応神天皇の末裔だと判断できたのでしょうか。
応神天皇からヲホド王へつながる系図は残されていますが、系図は捏造が可能であり、それを真に受けることはできません。
こうした事情から、ヲホド王を応神天皇の末裔とする説は否定されるようになりました。現在の日本史学では、ヲホド王を現在の天皇家の始祖と考える見方が一般的になっています。
さらに注目されるのが、ヲホド王に関する伝承です。ヲホド王は近江(現在の滋賀県)にあたる琵琶湖北部と、越前(現在の福井県)にあたる三国地方で成長したと伝えられています。
三国地方は九頭竜川の流域にあり、古くから穀倉地帯として知られていました。