【豊臣兄弟!】徳川四天王の背後にいた「徳川十六神将」とは?秀吉を震え上がらせた“陰の最強軍団” (6/7ページ)

Japaaan

●植村家存(うえむらいえさだ/1541~1577年)
家康の家老で信玄に「一世の豪勇」と称された。子孫は大和高取藩主となる。

●鳥居元忠(とりいもとただ/1539~1600年)
関ヶ原合戦の伏見城籠城戦で討死「三河武士の鑑」とされる。下総矢作藩祖。

●鳥居忠広(とりいただひろ/1532~1573年)
元忠の弟とされる。三方ヶ原の戦いで殿を務めて討死。子孫は小田原藩士となった。

●渡辺守綱(わたなべもりつな)/1542~1620年)
「槍の半蔵」の異名をもつ。尾張藩主・徳川義直の付家老となり1万4千石。

●平岩親吉(ひらいわちかよし/1542~1611年)
徳川義直の後見人を務め、甲府城代、尾張藩執政を歴任。尾張犬山藩12万3千石。

●服部正成(はっとりまさなり/1542~1596年)
いわゆる服部半蔵(鬼半蔵)で、伊賀衆および甲賀衆を指揮。所領は8千石。

●松平康忠(まつだいらやすただ/1546~1618年)
長沢松平家8代当主で徳川家康の従弟にあたる。所領は武蔵深谷藩1万石。

●松平家忠(まつだいらいえただ/1542~1596年)
『家忠日記』を記した。鳥居元忠らと伏見城籠城戦で討死。三河深溝藩1万石。

以上が『徳川十六神将図』に描かれた四天王以外の武将たちです。徳川十六神将は資料によってメンバーに異同があるため12将といいながら14人の武将を紹介しました。しかしいずれも、四天王ともども、家康とともに幾多の戦火をくぐり抜けてきた勇将揃いでした。

特に大久保忠世・鳥居元忠・渡辺守綱・平岩親吉・服部正成などは、家康を描くうえで欠かせない人物たち。

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