【豊臣兄弟!】徳川四天王の背後にいた「徳川十六神将」とは?秀吉を震え上がらせた“陰の最強軍団” (4/7ページ)
ただ、その大部分は三河時代からの家康の家臣で、戦場で活躍した武功派の武将たちであるともいわれています。
また、ほかの集団肖像画と異なる特徴として、「十六神将図」のように「神」の文字が用いられている点が挙げられます。
これは、家康が死後に「東照大権現」の神号を持つことから、家康を権現として仰ぎ、仏教における「四天王」と「十二神将」の数字を合わせて「十六神将」としたものとも考えられています。
また、日光山輪王寺によると、東照大権現の本地仏は薬師如来であり、その眷属が十二神将であることから、これに四天王を加えて「十六神将図」としたともされているのです。
このように「十六将」に「神」の文字が付く背景には、やはり家康の神格化が関係していると考えられるのではないでしょうか。
ちなみに秀吉も、死後には「豊国大明神(とよくにだいみょうじん)」として神格化されました。しかし、豊臣家滅亡後、その神号は家康によって剥奪されてしまいました。
集団肖像画が描かれたのは江戸時代とされています。秀吉の神号が復活するのは明治に入ってからで、そのため『羽柴二十四将図』には、神の文字が使われないと考えられるのです。