【古代日本】仏教を広めたのは信仰の為だけじゃない!?蘇我馬子が勝ち取った「利権と覇権」 (2/5ページ)

Japaaan

両者の対立が激しくなったのは、571年に欽明天皇が死去した後の敏達天皇の時代でした。大連の物部守屋は敏達天皇に近づき、蘇我稲目の後を継いだ蘇我馬子の政治を批判します。

蘇我馬子(Wikipediaより)

敏達天皇も守屋の主張を支持しました。そして585年、物部守屋は蘇我馬子が信仰していた寺院を焼き、仏像を破壊します。

ところが同じ585年、今度は敏達天皇が急死しました。用明天皇が後を継ぎ、さらに587年には蘇我馬子と物部守屋が戦い、馬子が勝利して守屋は殺害されています。

信仰だけではない

この経過だけを見ると、蘇我氏と物部氏の対立、いわば廃仏論争は信仰をめぐる争いというか、宗教戦争のように見えますね。しかし、実際にはそれだけで彼らの対立の理由を説明することはできません。

現代の有力な見方としては、廃仏論争の正体は豪族同士の主導権争いだったと考えられています。

仏教をどう扱うかという問題が、もともと存在していた政治的な対立を表に出すきっかけになったというわけです。

仮に仏教が伝来しておらずとも、蘇我氏と物部氏の対立は起きていたと思われます。

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