【古代日本】仏教を広めたのは信仰の為だけじゃない!?蘇我馬子が勝ち取った「利権と覇権」 (3/5ページ)
さらに、蘇我馬子が物部守屋との戦いで勝てた背景には、多くの氏族が蘇我氏側についたことがあったと考えられています。では、なぜ蘇我氏には支持が集まったのでしょうか。
その手がかりになるのが、仏教の受け入れによって生まれた仕事です。寺を建てれば建設の仕事が必要になり、仏具を作れば製作を担う人々が必要になります。
また、僧侶になる人材も集めなければなりません。さらに経文を読み書きする人も必要となるため、仏教の受容は多くの仕事を生み出す可能性がありました。
一方、物部氏の側について仏教を排除しても、新しい寺や仏具を作る需要は生まれません。すでにある寺や仏像を壊すことはできても、そこから継続的な仕事につながるとは限らなかったのです。
もちろん、豪族たちが全員こうした損得だけで判断したとは断定できません。宗教的な信念や政治上の判断も、当然ながら存在したでしょう。
それでも、仏教の受容が政治と経済の両方に関係していた可能性は無視できません。新しい信仰は、新しい建築や技術、人材を必要とする社会的な動きでもあったからです。
仕事を生む宗教ちなみに中国から仏教が伝わった高句麗・新羅・百済・渤海でも、崇仏派と廃仏派の対立が起きました。そして、これらの国では崇仏派が廃仏派を上回ったとされています。
とはいえ、この共通点だけで、日本における蘇我氏の勝利を説明することはできません。