源頼朝に血祭りにあげられた男…「悪代官」の濡れ衣・山木兼隆|在任わずか50日のあまりに不遇な生涯 (2/5ページ)
そんな中、兼隆はいきなり父から訴えを起こされ、治承3年(1179年)1月に右衛門尉を解任されてしまいました。
なぜ父が我が子を訴えたのか、その理由や事情について、詳しいことはわかっていません。
ともあれ有罪となった兼隆は、そのまま伊豆国山木郷(静岡県伊豆の国市)へ流されてしまいます。以来「山木」兼隆と呼ばれるようになりました。
しかし同年11月に京都で起こった治承三年の政変(※)後、兼隆は親しくしていた平時忠が伊豆国主であったツテにより、伊豆国目代に任じられます。
(※)ざっくり言うと:平家と朝廷の間を取り持っていた平重盛(清盛嫡男)が亡くなり、朝廷がここぞとばかり重盛遺領を奪い取るなどしたことから清盛が激怒。朝廷を抑圧して独裁軍事政権を確立した事件。
目代(もくだい)とは目の代わりと書くとおり、在京していることが多い国司に代わって現地の統治に当たる代官です。
この人事によって、兼隆は伊豆国内で勢力を拡大していくことになるのでした。
