源頼朝に血祭りにあげられた男…「悪代官」の濡れ衣・山木兼隆|在任わずか50日のあまりに不遇な生涯 (3/5ページ)
かくして伊豆国の代官として権力を握った兼隆には山木兼光(かねみつ)・山木兼盛(かねもり)という子がいましたが、その生母は不明です。
『曽我物語』などの軍記物語では、伊豆の豪族である北条時政の娘・北条政子との縁談が進んでいたといいます。
しかし政子は時政が大番役として上洛していた隙に、流人の源頼朝と恋仲となってしまいました。
これを知った時政は「罪人と身内になるなどまっぴら御免」とばかり、大急ぎで政子を兼隆へ嫁がせようとしましたが、政子は北条邸を脱出して頼朝の元へ逃げ込みます。
政子と頼朝は伊豆山権現へ駆け落ちして庇護を受けたため、もう連れ戻すことができません。そこで時政は、しぶしぶ政子と頼朝の縁談を認めたのでした。
鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』でも、政子は後に「闇夜をさまよい、雨をしのいで貴方のもとへ参りました」とこの時の思い出を語っています。
結局、兼隆は政子を娶ることなく、他の女性と子供をもうけたのでした。
