源頼朝に血祭りにあげられた男…「悪代官」の濡れ衣・山木兼隆|在任わずか50日のあまりに不遇な生涯 (4/5ページ)
歌川国芳「本朝英雄鏡 山木判官兼高」より、障子の陰から飛び出した兜に斬りかかり、その隙に討たれてしまう山木兼隆。
ちなみに兼隆が伊豆の目代に任じられた時期についても異説があり、平時忠が伊豆国主となったのは治承4年(1180年)に以仁王の乱が鎮圧された後の同年6月末だと言います。
それまでは以仁王(もちひとおう)を擁立した源頼政(よりまさ)の嫡男である源仲綱(なかつな)が伊豆の国主でした。
だから兼隆が伊豆の目代となり、同年8月17日に討たれるまでは約50日ほどしかありません。
目代となって大威張りするくらいは出来たとしても、その短期間で民百姓が苦しむほどの暴政をしくのは、少し難しいのではないでしょうか。
それほどインパクトが強い暴政をしいたのであれば、何かしら記録が残る、あるいは挙兵の正当性を訴えるために頼朝たちが喧伝すると考えるのが自然です。
そうした痕跡がないということは、兼隆が極端な暴君・悪代官であったとする見方について、再考の余地があるかもしれません。
