まさに逃げ上手!『豊臣兄弟!』で割愛、秀吉の紀州攻めに抗った土橋春継の怒涛の逃避行を一挙紹介 (2/7ページ)
しかし石山本願寺が織田家と和睦(実質的には降伏)すると、土橋父子もまた信長の軍門に降りました。
春継は父の胤継と連名で起請文を書き、それを織田武将の佐久間信盛(菅原大吉)と松井友閑(まつい ゆうかん)にあてて差し出しています。
かくして織田家臣となった春継ですが、その地位は永く続きませんでした。
天正10年(1582年)1月、父の胤継が鈴木重秀(すずき しげひで)によって殺されてしまったのです。
重秀は春継たちと同じ雑賀衆なのに、なぜでしょうか。恐らくは雑賀衆の中でも、織田家中における地位や利権をめぐって対立があったものと考えられます。
信長に叛旗を翻す
しかも重秀の犯行は、信長がお墨付きを与えたものでした。つまり信長は重秀らを重んじ、土橋一族は切り捨てるつもりなのでしょう。
こんな仕打ちを受けてまで、織田家に忠義を尽くす道理などありません。かくなる上は一矢報いてくれよう……春継は弟たちと共に謀叛の兵を挙げました。
