まさに逃げ上手!『豊臣兄弟!』で割愛、秀吉の紀州攻めに抗った土橋春継の怒涛の逃避行を一挙紹介 (4/7ページ)
天正12年(1584年)に秀吉と徳川家康(松下洸平)が小牧・長久手の戦いを繰り広げると、春継らは家康に与しました。
そして紀州から北上し、秀吉が出陣中で不在となっていた本拠地の大坂を脅かします。
このため、秀吉は家康と対峙しながら、大坂と前線を往復しなければなりませんでした。
かくして春継たちは、織田政権を乗っ取り、増長する羽柴政権を西から脅かし続けます。
しかし秀吉が家康と和睦してしまうと、秀吉の矛先はこちら紀州へ向けられるようになりました。
翌天正13年(1585年)の紀州攻めでは粟村城に立て籠もって抗戦しますが、大軍に圧倒されてしまいます。
春継は再び海を渡って土佐国へ逃げ込みましたが、同年中に羽柴秀長(仲野太賀)を総大将とする四国攻めが行われました。
