まさに逃げ上手!『豊臣兄弟!』で割愛、秀吉の紀州攻めに抗った土橋春継の怒涛の逃避行を一挙紹介 (3/7ページ)
しかし織田信張(のぶはる。信長遠戚)の加勢を得た重秀に攻め立てられ、粟村城に立て籠もるも堪え切れません。
やむなく春継は弟の平次と共に城を脱出し、敵中をくぐり抜けて海を渡り、土佐国(高知県)まで逃れました。
しかし弟の泉職坊と、末弟くす千代は途中で追っ手に捕らわれてしまいます。
泉職坊は混乱の中で殺されてしまいましたが、くす千代は旧主の顕如(けんにょ。本願寺宗主)が仲立ちとなって助命されました。
しかしその後、くす千代が元服したという記録がないため、恐らくは亡くなってしまったのでしょう。
助命されたとは言え、無傷だった保証はないため、追っ手によって負傷していたのかもしれません。
秀吉への仕官を辞退
かくして土佐国へ逃れた春継ですが、数ヶ月後の天正10年(1582年)6月に本能寺の変で信長が横死を遂げると、雑賀の地に舞い戻りました。
そして信長を討った明智光秀(要潤)に与すると、高野山や根来衆と連絡を取り合って畿内制圧の準備に取りかかります。
しかし秀吉が中国大返しを断行し、山崎の戦いで光秀を討ち滅ぼすと、にわかに風向きが変わってしまいました。
春継に対して秀吉から臣従の招きがあり、はじめ春継もこれを受けようとしていたようです。
が、父の仇である重秀が秀吉に臣従したと聞いて、春継は激怒。秀吉への仕官を辞退したのでした。
これが運命の分かれ道となり、春継は秀吉に抗い続けることとなります。