【豊臣兄弟!】寧々一筋のはずが実は側室200人超!石川数正はなぜ出奔?ほか…第39回の史実を一挙紹介 (5/10ページ)
正室として迎えられました。京極家は浅井家の主君筋に当たるため、申し分のない縁談だったと言えるでしょう。
結婚後は夫を支えますが子供はなく、慶長14年(1609年)に夫が先立つと出家して常高院(じょうこういん)と号しました。
その後は豊臣家と徳川家の仲立ちとして戦争回避に奔走し、慶長19年(1614年)に大坂の陣が勃発した後も和睦のために尽力します。
翌慶長20年(1615年)の豊臣家滅亡後は江戸で暮らし、江戸時代の寛永10年(1633年)に64歳で世を去りました。
江(西川愛莉)はその後どうなった?織田信雄(山脇辰哉)の計らいによって天正12年(1584年)に佐治一成(さじ かずなり)と結婚します。しかし夫が小牧・長久手の戦いで徳川家康に便宜を図ったため、秀吉の怒りを買って離縁させられています。
やがて天正14年(1586年)ごろに先ほど紹介した羽柴秀勝(小吉)と再婚。一人娘の豊臣完子(さだこ)を生みますが、夫に先立たれてしまいました。
そして文禄4年(1595年)に徳川秀忠(長丸。家康嫡男)と再々婚します。秀忠との関係は円満で、二男五女を授かりました。
長女・千姫→豊臣秀頼(秀吉と茶々の子)と結婚 次女・珠姫→前田利常(前田利家の四男)と結婚 三女・勝姫→松平忠直(徳川家康の孫)と結婚 四女・初姫→京極忠高(京極忠次の子)と結婚 長男・徳川家光→江戸幕府第3代将軍 次男・徳川忠長→兄の家光と対立し、敗れて改易される 五女・徳川和子→後水尾天皇(第108代)に入内し明正天皇(第109代)の母に江姫は豊臣一族と徳川一族の血筋を後世に受け継ぐ上で、大きな役割を果たしたと言えるでしょう。