【豊臣兄弟!】寧々一筋のはずが実は側室200人超!石川数正はなぜ出奔?ほか…第39回の史実を一挙紹介 (8/10ページ)
『豊臣兄弟!』なぜ石川数正(迫田孝也)は徳川家康を裏切ったのか? 史実とドラマ描写から見える出奔の理由
ただ気になるのは、徳川家康(松下洸平)の「あいつら、今すぐ死んでくれんかのぅ」というセリフを受けて、秀吉と小一郎の暗殺でも企んでいるのではないかと勘繰ってしまいます。
さて、史実でも石川数正は家康の下を出奔して秀吉に寝返っていますが、その理由については諸説ありました。
なぜ石川数正は出奔した? 家康と不和になった 秀吉との連絡役を通じて秀吉に魅了された 秀吉から調略(より好待遇を提示)された 徳川家臣団の武断派から秀吉との内通を疑われ、危機感を覚えた このままでは徳川家が滅ぼされると危機感を覚えた 等々。いずれにしても家康との間に何かあったことはうかがわれ、天正13年(1585年)ごろには家康から康の偏諱を賜わって石川康輝(やすてる)と改名しています。
家康としては、懐刀である数正を何とかつなぎとめておきたかったのでしょう。しかし天正13年(1585年)11月13日に数正は出奔してしまいました。
秀吉は数正を大歓迎し、河内国に8万石の所領を与えた上で自身の偏諱「吉」を与えて石川吉輝(よしてる)と改名させています。
康の字を返上したことで家康との縁を切り、新たに吉の字を冠して秀吉の家臣となったことを示すものでした。
果たして豊臣家臣となった石川数正は、どんな活躍を魅せるのでしょうか。楽しみに見守りたいですね(あ、死なないので安心してください)。
