【豊臣兄弟!】茶々が夫の子を産むなんて嫌だった!寧々(浜辺美波)の本心と胸が張り裂けそうな苦しみを考察 (7/12ページ)

Japaaan

福島正則、市田三成、加藤清正。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

史実でも二人は幼少期から秀吉に仕え、実子のいない寧々が我が子のように育てた「子飼い」の武将です。

直接的にこの二人が「寧々派」だったと明確に記した史料はないようですが、尾張出身で子供の頃から寧々を慕い絆も強かったと伝わります。

ドラマ内の秀長や三成のように「別妻に子供を産ませるのは、お家存続に必要」だと理屈では分かっていても、そこはやはり「寧々様がどんなに傷つくだろう」と先に思うのが人間。清正と正則、推せます。

この先につながる、三成と清正と正則の対立の始まりが描かれていました。

実際、慶長3年(1598)秀吉の死後、これまで豊臣政権内で、軍務を担ってきた福島正則や加藤清正をはじめとする『武断派』と、主に統一事業において政務を担ってきた石田三成などの『文治派』が激しく対立。三成襲撃事件へと発展していきます。

秀吉の『最強スター家臣団』の栄光と亀裂に関して、下記記事で詳しく紹介しています。

「【豊臣兄弟!】茶々が夫の子を産むなんて嫌だった!寧々(浜辺美波)の本心と胸が張り裂けそうな苦しみを考察」のページです。デイリーニュースオンラインは、豊臣兄弟!、寧々、北政所、茶々、大河ドラマ、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る