『豊臣兄弟!』あさひ犠牲の天正地震の悲劇は序章にすぎない!豊臣の権威を砕く「二度目の大地震」という絶望 (3/12ページ)

Japaaan

そこは彼には最も安全な場所と思えたからである」

と、いう内容が書いてあるそう。大慌てで馬を走らせる秀吉の姿が目に浮かぶようですね。この時、秀吉の脳裏に浮かんだのは何だったのか……寧々(北政所)の安否か、それとも「城」のことか。

一方、大坂城も揺れたものの頑強で倒壊せず、被害は少なかったようです。(『顕如証人貝塚御座所日記』など)

大坂城跡(史跡名勝天然記念物)(文化遺産オンライン)

大被害の秀吉側とほぼ被害のない家康側

この『天正地震』の約2週間前のこと。

秀吉は真田昌幸に、「家康を成敗する」「正月十五日以前には必ず出陣する」という旨の徳川攻めを決意した旨の書状を送っています。(真田昌幸宛秀吉書状/『大日本史料』『豊臣秀吉文書集』など)

この後、起こったのが『天正地震』です。当然、秀吉は徳川との戦どころではなくなります。

兵糧を蓄えた前線基地・大垣城は、水辺の地盤が弱い場所にあったために全壊。

織田信雄の居城・伊勢の長島城は倒壊、秀吉が始めて城持ちになった長浜城はこの頃、山内一豊が城主でしたがやはり倒壊。

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