最高齢は60歳超も…江戸市中に数千人いた路上娼婦「夜鷹」の哀しく壮絶な生存劇 (2/4ページ)
江戸初期、夜鷹の活動場所として知られるようになったのが四谷鮫ヶ橋と本所吉田町です。
梅毒を持つ女性や、客がつかなくなった年増女郎が多かったことをうかがわせる「ハナ散る里は 吉田 鮫ヶ橋」という言葉も残っているほどです。
ちなみにこの歌の意味ですが、梅毒は悪化すると鼻が腐れ落ちます。それと、いわば花の盛りを過ぎた年増女郎のハナをかけたのでしょう。ひどい歌です。
天保以前の江戸では、まだ夜鷹という呼び名が一般的ではなく、江戸では夜発、上方では惣嫁と呼ばれていました。
上方の風俗の記録によれば、彼女たちは日没ごろになると仕事へ向かったそうです。昔は黒い木綿の衣服と白い手拭いを身につけていましたが、のちには町人の妻と見分けにくい姿になりました。
そして、より哀しさを感じるのがその年齢層で、夜鷹は40歳から50歳代、60歳ほどの年配女性が多かったとされます。
生きるための工夫夜鷹が商売をした場所は、家の軒下、草むら、河原、材木置場などでした。
草を一枚敷いただけの場所もあり、プライバシーもへったくれもありません。彼女たちはなりふり構わず商売に精を出していたのです。
とはいえ、工夫もありました。竹の杭を立てて目隠しを作ったり、雨具を衝立のように使ったりするやり方もあったとか。空き地に小屋を建て、入口へ草を垂らして内部を見えにくくする方法もありました。
初期の夜鷹は店に属さず、独立した自由業として働いていました。ところが代金を払わずに逃げる「やり逃げ」の客がいたため、客引きと護衛を兼ねる男性を雇うようになります。
これは後世のヒモにつながる存在とも考えられます。