御嶽山噴火、自衛隊出動で是非論噴出への疑問 (3/5ページ)
その手の連中が "チョウセンジン" をそれほど忌み嫌うならば、ウソをウソと、デマをデマと認めて、"チョウセンジン" よりも高尚な人間を目指してみてはどうだろう? それが出来ないならば、「あなた方が言うチョウセンジンとは、あなた方自身を指す言葉だ」と言わせていただく。
さて、東日本大震災や原発事故を経ても全くオツムが成長しなかった両側の極論家さん達は、どちらも犠牲者を出してしまった悲惨な災害の情報に乗せて、自分が垂れ流したい思想を拡散しているだけに過ぎない。 言ってみれば犠牲になった尊い命を商売道具として勝手に使っている訳で、死者を冒涜する何よりゲスな手法である。
本当に今回のような災害による被害を繰り返したくないと思うならば、世間の人々に山の危険性を説くとか、他にいくらでもやりようはあるだろう。 それをせずお手軽にイッチョガミするだけなのだから、こんな批判をされても反論のしようがあるまい。 とりあえず文章の最後に 「お悔やみ申し上げます」 と付けておけばいいという話ではないだろう。
自分で言った手前、山の危険やルールについて簡単に書いておくが、そもそも山や海というのは 「人間が立ち入るにはあまりにも危険の大きい世界だ」という大前提がある。 まず、自然の中に身を委ねた時点で、常に死がつきまとうという意識が必要なのだ。よって、山なら山に行く前に絶対に知っておかねばならない知識を頭に入れて、その上でハイキングなり登山なりに赴かねばならない。 それが出来ないならばハナから行くべきではない。
そして万が一なにか不幸が起きたとしても、それはもう諦めるしかない。御嶽山に限らず、3,000m前後あるような山とは、人間の死すらもある意味で突き放して考えねばならない厳しい場所であると知っていただきたい。山での事故とは、誰が悪いといった単純な話ではないのだ。
私は父親が学生時代に山岳部に所属しており、母親もワンゲル部で、冒険家の故植村直己さんが地元仲間という逃げ場のない家庭に産まれてしまったため、小学生の頃に北アルプスの山々の殆どを踏破させられた。泣いても喚いても3,000m級の山の上では帰るに帰れず、奥穂高を登り、槍ヶ岳を登り、あれ以上のスパルタは他にないだろうと思える無茶な鍛えられ方である。