【三沢光晴をめぐる証言vol.6】秋山準インタビュー (3/5ページ)

日刊大衆

みんなが驚くような技でも、三沢さんとしては閃きではなく、しっかり考えて練りに練って出していたと思うんですよ。


 ノアの旗揚げから9年……09年6月13日、広島グリーンアリーナで悲劇は起こった。同日のメインで潮﨑豪と組み、齋藤彰俊&バイソン・スミスのGHCタッグ王座に挑戦した三沢は、齋藤のバックドロップを食って昏倒。同夜22時10分、広島大学病院で頸髄離断によって46歳の若さで急逝した。その時、秋山は……。
(註:ここのみ斜体に、文字細さ大きさはママでOKです)


秋山 広島の前々日に大阪で試合したんですけど、腰椎椎間板ヘルニアで動けなくなって、次の日の早朝にブロック注射を打ってもらうために東京に戻って、広島の日は東京から直接行ったんです。それでも全然ブロック注射も効かなくて、まったく動けなかったですね。で、試合後に治療を受けながらモニターを観ていて、何か起こったのは寝ててもわかったんで、リングに行こうと思ったんですけど、花道の途中で倒れてうずくまってました。僕も三沢さんと同じ病院に直行でした……。三沢さん、首が悪かったじゃないですか。それでも絶対に文句も弱音も吐かない人が……亡くなる数カ月前ですかね、僕は「キツイな」っていう言葉を聞いたんです。その時。首が悪くて手が後ろに回らない状態だったんで「大丈夫ですか?」って聞いたら「いやあ、キツイな」って。その時、20年近く一緒にいて、初めてキツイという言葉を聞きました。あそこが限界だったのかもしれないです。限界だったのを振り切って、そこから何カ月間か試合をしていたと思います。

──翌日の6月14日、博多スターレーンでGHC王者だった秋山さんは力皇猛の挑戦を受けるはずでしたけど、動くことができずに潮﨑豪に権利を譲って潮﨑VS力皇の王座決定戦になりましたが、実は三沢さんに潮﨑の育成法について相談されていたんですよね?

秋山 三沢さんに「潮﨑は誰と組ませたらいいと思う?」って聞かれたから僕は「三沢さん」と答えたんですけど、それも今考えれば、三沢さんに無理させてしまったかなと。僕が経験したことを潮﨑にも経験してほしかったんですよ。

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