はるしにゃんの幾原邦彦論 Vol.1 少女的理想と現実の狭間にゃん (3/5ページ)
言い換えれば彼は象徴表現を好む作家でもあると言えよう。おそらくそれは作中の「ピングドラム」「運命日記」といった象徴的な固有名などにも表れている。また演劇にも造詣が深く、日本を代表する劇作家のひとりである寺山修司の劇団「天井桟敷」に傾倒していたことから、同劇団の音楽担当であるJ・A・シーザーを自作『少女革命ウテナ』にも起用している。
幾原邦彦というクリエイターの道のり
幾原は1985年に京都芸術短期大学を卒業し、翌年には東映動画(現在の東映アニメーション)に入社。まず『メイプルタウン物語』の制作進行・演出助手のひとりとして参加すると、のちに初代『美少女戦士セーラームーン』などのシリーズディレクターをつとめる佐藤順一のもとで様々なアニメ制作に携わり、1990年には『もーれつア太郎』第18話「王子と玉子どちらがえらいのココロ!?」で演出デビューを果たした。
以降、『美少女戦士セーラームーンR』のシリーズディレクターなどをつとめ、1993年には初の劇場用作品『劇場版美少女戦士セーラームーンR』を手がけることになる。1996年には東映動画を退社、『少女革命ウテナ』の企画・制作を行なうためのクリエイター集団・ビーパパスを主宰・結成し、その版権管理にあたって個人事務所・イクニを設立した。翌年に自ら監督した本作は、アニメーション神戸97´の作品賞・テレビ部門を受賞し、また幾原自身は最高賞であるところの神戸賞を受賞した。
だが『少女革命ウテナ』の制作以後は、しばらくアニメ以外の活動が目立つようになり、もっぱら小説・漫画原作などを執筆するかたわら、講演や学校で教鞭を執るといった機会が増えていく。たとえば2006年には小説『ノケモノと花嫁』を企画・制作するためにクリエーターズ・モイを主宰・結成し、ファッション誌『KERA』に連載している。