はるしにゃんの幾原邦彦論 Vol.2 ウテナと革命の精神分析にゃん (6/6ページ)
ウテナという倒錯者と、アンシーというヒステリー者
欲望とは欠如に由来するものだが、彼女にとってその欠如とは幼少期における両親との死別による「永遠への不信と憧憬」である。彼女はしかし王子様との出会いによりその不信を否認し、天真爛漫な「王子様を目指す女の子」として生きていくこととなる。
他方でアンシーは、かつて王子様と性交したことによって、魔女と呼ばれ、また王子様をその身分から引き下ろしてしまった過去を持つ。彼女はこの世界の「光と闇」のなかで、光を抑圧し、自身の欲望を抑圧し、ただ「闇の世界における純-客体」となるように生きている。これは全時代的な意味での「従順な女」である。彼女は神経症の女性、厳密には性器が非性化されている不感症だが、その存在自体は全体としては蠱惑的でセクシュアルなヒステリー者だと言える。
ここでウテナは「光」に、アンシーが「闇」に対応する。ウテナ論にはこの二人を「一人」、つまりユング的なエゴとシャドウの関係性と見、そしてストーリー展開をユング言うところの「個性化」という「セルフへの統合」とするものがあるが、私もそうした解釈は可能であるように思う。
エゴとは各人の個別的な自我、シャドウはその自我が抑圧しているものである。その抑圧されたものが意識化され、統一的な自己へと併合されていく過程が個性化だ。オープニング映像における両者の対比からもそれが見て取れるし、また、『デミアン』も「個性化」=「自己実現」による同性間の「友情」の物語であった。つまり、両者は、あわせて<1つの個性>なのだ。にゃん。
※連載第3回目、ウテナ論の後半に続く