かなりイケメンに仕上がった!長宗我部元親像が高知県 歴史民俗資料館に登場 (3/3ページ)
土佐は、駿河の掛川から入城した山内一豊が領主となりましたが、長宗我部の旧家臣団の結束は固く、新しい領主になかなか従わなかったと言われています。
その15年後、徳川家と豊臣家の最後の戦いとなった『大阪の陣』が起こります。長宗我部のかつての家臣達は、長宗我部家の再興と土佐の領主としての復活を願い、長宗我部盛親の元に集結、豊臣方の主力部隊として大いに活躍しました。
しかし豊臣側は敗北。
大阪城の炎上とともに豊臣秀頼と淀君が自害し豊臣家が滅亡すると、長宗我部盛親も捕らえられて斬首となり、ここに長宗我部家は滅亡します。
徳川幕府の時代、土佐藩は山内家ゆかりの武士を上士、長宗我部家ゆかりの武士を下士と呼び、下士は冷遇されたと伝えられています。
しかし260年後、幕末の動乱期に坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎・武市半平太などの下士出身の志士達が出現。維新の原動力となり、新しい日本の夜明けに向かって活躍しました。
長宗我部氏は滅んだ後も、四国の覇者としての精神が、400年後の今も息づいているのです。