30日の新幹線放火事件、団塊世代は何故自殺に走ったのか? (3/3ページ)
同時に「企業」とか「取引先」とかいう「心の拠り所」を求めている。彼らが介護の世界に入れば常に会社員であった時代の自慢話、息子の学歴はなしなどで盛り上がると思う。一種今の若者より活動的で激しさを感じるような人たちの部類に入るのではないだろうか?
その反面、「拠り所」や自分の「腕」を披露する場所がないと、精神的には非常に脆い。今の日本の社会そうした段階の人たちが気持ちよく生活できる形には十分になっていない。
介護施設も今までのような老齢者でない性質の人たちを迎える事になる。まず大変だと思う。何せ体が五体満足ならまだ働きたい人達が多いのだから。介護施設で内職とか仕事をしてもらうような環境を作れないものだろうか?
話は事件に戻り、この自殺した方、自殺前にいろんな人と話し、会話をしている。死ぬ覚悟をしながら人とのコミュニケーションを楽しんでいるかのようだった。そして周囲の乗客が気持ち悪そうにその方のお誘い(たばこ、お金)を断ると、「そうなのか」と思いもう思い残すことはない、と思い燃料を全身にまき、涙を流しながら着火した。
かのマザーテレサ(ノーベル平和賞)はいった。「愛の反対語は憎しみではなく、無関心です」
私はこの自殺者に対し「ひどい加害者だ」とか「賠償しろ弁償しろ」「遺族に対して謝れ」と片付けてしまうだけの行動はいけないと思う。今後こうした事件は起こるし、その事件の骨幹に何があるか観察しなければならないと思う。
みんなが無関心を装う日本、これが本当に正しい姿なのだろうか?自分が他人に無関心を装われたとき君はどんな気持ちになるだろうか?
涙を流しオイルで全身まみれになった体に着火した男性、その一瞬一瞬の気持ちがどのようなものだったかわかり始めてきた。
今回事故で亡くなられた方ご冥福をお祈りいたします。