大阪ドヤ街に活気…西成・ガールズバーが急増するワケ (1/3ページ)
かつて「日本で唯一、暴動が起きる街」と言われた大阪・西成のあいりん地区(通称・釜ヶ崎)だが、いまやその様相は大きく変わった。
「最後に暴動らしい暴動が起きたのは08年や。物騒な雰囲気は今もあるけど、昔ほどやない。暴動なんてもう起きへんやろな。今や完全に“福祉の街”になってしもた。それから、“チャイナ”な」
西成の“最深部”、萩之茶屋本通り商店街の商店主(60代)が言うように、かつては日雇い労働者向けの一杯飲み屋、雑貨店、洋品店がひしめき合い、多くの労働者たちが溢れ、活気が漲っていた通りも、今では7割はシャッターが閉められたままである。
そして、近隣のマンションやドヤ(簡易宿泊所)の入り口には「福祉の方歓迎」の文字が。“福祉”とは、西成用語で「生活保護受給者」のことである。
「西成全体で100店舗以上あるのでは」
閑散とし、すっかりシャッター街と化してしまった西成の街だが、よく見ると、シャッターを閉めた店舗の合間合間に、赤、ピンク、黄緑色といった、妙にけばけばしい原色の看板が立ち並んでいることに気づく。
どの店も「カラオケ居酒屋」と書かれているが、カウンターの中を覗くと若い女性が数人立ち、どう見ても“ガールズバー”の体裁である。これが、前出の商店主が言っていた“チャイナ”の正体だった。
「店名だけじゃわからへんけど、暖簾の真ん中の垂れ布2つ分くらいを上にあげてる店があるやろ。あれ、全部中国系や。いまでは日本の店より多いんちゃうか」(前出・商店主)
地元の不動産業者によれば「西成全体で100店舗以上あるのではないか」とのこと。それもここ4~5年ほどの間に“爆増”したのだという。
これはいったいどういうことなのか? 労働者の数が減り続け、“福祉”の文字が溢れるシャッター街に、雨後の筍のごとく「中国人ガールズバー」が増殖し続けているというのは、どう考えても妙である。需要と供給のバランスを考えても、何とも不可解な現象ではないか。その背景には何があるだろうか。その謎に迫るべく、ぼったくりも覚悟で飲み歩いてみた。