負の世界遺産・アウシュビッツ強制収容所を訪ねて (2/7ページ)
実際には、いくら働いたところでほとんどの被収容者は自由どころか生き延びることすらできませんでした。
ヨーロッパ各地から約130万人もの人々がアウシュビッツに連れてこられました。内訳は、ユダヤ人110万人、ポーランド人14万~15万人、ロマ(いわゆる「ジプシー」)2万3千人、ソ連軍捕虜1万5千人、その他2万5千人です。このうちおよそ110万人がアウシュビッツで亡くなり、犠牲者の9割はユダヤ人でした。
この時多くの人々がドイツを経由し、アウシュビッツへと輸送されました。その悲しき出発点である駅のプラットフォームが今でもドイツの首都ベルリンには残されています。
収容所内には28棟の「囚人棟」があり、最大で2万8000人もの人々が収容されていたといいます。囚人棟の周囲には鉄線が巡らされており、約220ボルトの電流が流されていました。
現在囚人棟の一部は、当時の様子を伝える展示室となっています。
ここで起こった悲劇、犠牲者の苦しみを忘れないための記念碑。中には一部の犠牲者の遺灰が入っています。