大東駿介、作品を通して「8歳でいなくなった亡き父と向き合った」<インタビュー> (2/5ページ)

マイナビウーマン

『望郷』の撮影後、再びドラマでご一緒しているんですが、作品に対してすごく真摯で、冷静だけど大事な部分を抽出するのが上手な方だなあと。それについては、貫地谷(しほり)さんとも「ちゃんと芝居を見てくれてるから本当に安心するよね」って話していました。僕も監督とはじめて会った日から、そんな印象を受けていましたね。

――その安心感は撮影中も抱きましたか?

もちろん。指示がめちゃくちゃ細かくて、何回か撮り直すこともありました。でも、それは的を射ていることだったから苦じゃなかったんです。あと、監督は心理の話をよくしてくれて。「ここはこういう気持ちなんだ」ってすごく的確な説明をしてくれました。

――映画でも、それぞれの登場人物の心情が繊細に描かれていました。

そもそも、監督の「この作品を因島で撮ろう」という提案も『望郷』があるべき形に収まるためには、とても大事なことだったと思います。監督が『望郷』をどう撮るべきか、ちゃんと考えてくれていたことへの安心感はすごかったですね。

――『望郷』で印象に残っているシーンはありますか?

生徒役の子どもに対しての演出ですね。監督の指導がとても丁寧で「こうしろ」「ああしろ」っていう指示ではなくて。“役が持っている心をどうやったら画面に出せるのか”を子どもたちにもわかりやすく伝えていました。だから、子どもに対する演出が印象的だった結果が、この作品なのかなって。子役の子たちを、もう“子役”とは呼べないと思いましたね。それくらい、彼らは本当にすばらしい俳優さんと女優さんでした。

――たしかに、子供たちの演技は圧巻でした。ほかにはどんな部分が印象に?

監督が描くディティールが繊細で、違和感がひとつもなかったんです。たとえば、因島の風化とか。造船が盛んだったときは「きっと活気づいていたんだろうな」と想像できる町並みを見ると、切なさや町の息遣いを感じました。しかも、監督はそこを切り取るのが上手で。過去の思い出を見ているような映画になりましたね。

8歳で生き別れた父の死。
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