大東駿介、作品を通して「8歳でいなくなった亡き父と向き合った」<インタビュー> (4/5ページ)

マイナビウーマン

自分のなかに「会うもんか」という意地があったんです。27歳か28歳くらいのとき、親父が見つかったという連絡がありました。そこで会うか会わないかを聞かれたんですけど、当時の僕は結局「会わない」って選択をしました。

――その後、お父さんに対する気持ちに変化はなかった?

30歳になる手前くらいに「会ってもいいかな」という気持ちが生まれました。「なんでこんなに親父を拒否してたんだろう」って。でも、1年後「やっぱり会おう」と思ったときには、もう親父は死んでいて……。すごいタイミングですよね。航と一緒で、親父が亡くなってから存在を感じることがすごく増えました。今、親父の面影に影響を受けている自分がいます。

――そうだったんですね。具体的にどんな部分で影響を?

親父は不器用だけど、めちゃくちゃドラマティックな生き方をしている人なんです。いろいろなものを巻き込んで、いろいろなものを失って。親父のそんな生き様にものすごく生命力を感じて影響を受けていますね。実は、ちょっとだけ親父も役者をやっていたという共通点もあるんです。今は遺伝子レベルで親父とのつながりを感じています。

――強いつながりですね。

あとは「幼少期に親父がいない」っていうのも教えのひとつじゃないですか。「(親父が)いない生き方をどうしようか」って悩むこともあったし。そういう生き方を教えてくれたのは、やっぱり親父だなって思います。“教え”っていうのは、実際教えられたことだけではなくて「自分が気づいていくこと」や「その教えをどう受け取っていくのか」ということに意味があるんだなって。30歳を過ぎてようやく思えたことですね。

――お父さんとのお話もそうですが、離れてから気づくことってたくさんあると思います。

そうですね。僕の故郷も映画と同じく何もないところだったので「こんなところで何したらええねん! 早く出たい」って思ってましたし。でも、たまに帰りたくなるじゃないですか。いざ帰ってみたら開発されていて、新しくなっていることにショックを受けたりね。変わらないことも大切なんだと思います。

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